スパイダーマン ノー・ウェイ・ホーム公開
先日、『スパイダーマン ノー・ウェイ・ホーム』を見てきました。
まだ見ていない方、予告編はこちら。

まだ『スパイダーマン ノー・ウェイ・ホーム』を見ていない方は、過去のスパイダーマンシリーズを見ておいた方がいいです。予告編でも分かりますが、過去の敵が出てくるからです。他にも理由はあるのですが、それは見てからのお楽しみに。
過去のスパイダーマンシリーズ
初代スパイダーマンのトビー・マグワイア(Tovey Maguire)の出演作はこちら。
スパイダーマン(2002年)
何と20年も経っているんですね。
2代目スパイダーマンのアンドリュー・ガーフィールド(Andrew Garfield)演じるスパイダーマンはこちら。
トム・ホランド演じるスパイダーマンはこちらの作品から参加しています。
最後に”Hey, everyone.”って派手なんだか地味なんだかわからない、いい感じで出てきます。予告編どうぞ!!
トム・ホランドのスパイダーマン単独シリーズはこちら。
過去のアベンジャーズシリーズも見ておいた方がいいのは間違い無いですが、なんせ数が多いので、、
でも紹介だけしておきます。
https://soak-up-english.com/life/avengers
スパイダーマン ノー・ウェイ・ホームを見て
以下、『スパイダーマン ノー・ウェイ・ホーム』のネタバレありますのでご注意ください。
見終わってすぐの感想は、
・アクションは割と普通。また敵に吹っ飛ばされてるな〜弱いな〜っていういつものスパイダーマンのイメージは裏切られませんでした。(中傷ではなく、愛情込めて)
・過去のスパイダーマンを演じたトビー・マグワイアとアンドリュー・ガーフィールドがカメオ出演!正直、マスクを取ってアンドリュー・ガーフィールドが出てきた時には「わぁ」って声が出てしまったし、映画館でもざわついた声が聞こえました。このサプライズは感動。
・過去のモヤモヤ感(特にアメイジング・スパイダーマン2でMJが死んでしまって終わってしまうところなど)がここで一気に晴れたというか、各世界でのスパイダーマンのその後の生き方が描かれていてスッキリしました。
・全体的には、ストーリー的には普通、アクションも思ったより普通、スパイダーマンが3人っていうサプライズがあったのが見どころ。
という感じだったのですが、
見終わった後に、なんか色々こういうことが言いたかったのだろうかとこういうことだったのかなという思いが芽生えてきて、じわじわと思いを巡らせてしまいました。
今の世の中のあり方について警鐘を鳴らしているのかなって勝手に思いました。
スパイダーマンはいつもそうなんですけど、一種の物悲しさが漂っていて、他のシリーズみたいに敵をスカッと倒して終わる感じではない。ハッピーエンドで終わらせてくれない。
今回もそうで、自分の軽はずみな行動で騒動を引き起こしてしまう。その代償が自分にのしかかってくる。
見終わった直後は違和感が残りました。
自分のせいで友達が大学に入学できなくなってしまったので、それを何とかしてくれというピーターに対して、割とあっさりお願いを聞いちゃうストレンジ。
ピーターがスパイダーマンだってことを忘れさせる魔法をかけている最中に、ピーターが色々注文をつけて、結局魔法が失敗してしまう稚拙さ。
しかもその上、ストレンジは「最初に学校側に働きかけて何とかしなかったのか」と今更のように言う。
単純というか、マルチバースありきでマルチバースを引き起こしたかったがために無理やりこじつけたストーリーに感じたのです。
でも、後からこう思いました。
人は間違いを起こすものだ、ということを伝えたかったのではないか
と。
そしてその上で
やり直すこともできる
と。
ストレンジ自身も”ピーターが高校生だということをつい忘れてしまう”と言っていました。
大人びて見えるかもしれないけど、まだ高校生。
若さ故に失敗もたくさんするはずです。
大人たちだって、たくさん失敗しているはずです。
生きている限り、失敗することはたくさんあります。
SNSの時代になってからは特に、人の失敗に厳しい世の中になったと感じています。
誰かの些細なコメントが取り上げられ、それが間違っていると思うのなら顔が見えないことをいいことに、その人をこき下ろす。
それが世界中に広がってしまう。
そのコメントが、その人の全てを表すものになってしまう。
そして過去の失敗がいつまでも追いかけてくる世の中でもあります。
ネットで過去を探られ、昔こういう発言をしていた、とか。
確かに昔は未熟で生意気で、人の気持ちなんてわかっていない人間だったかもしれない。
でももしかしたら、今は違うかもしれない。色々な痛みを経験して、「あの時は間違っていた」「今は完全に違う考えで生きている」という人もいるでしょう。
でも世間はそうは思わない。過去を引き摺り出して「この人はこういう人なんだ、最低」って勝手に自分の中でその人の価値を決めてしまう。その人のこと、何も知りもしないのに。
過去の失敗からも逃れられず、やり直すことが難しい世界。
そこに実は、人は他人が失敗するのを期待している面もあるのではないかと思うのです。
人が失敗しているのを見て、その人を批判すれば、自分はもっとマシな人間なのだと相対的に上に立つことができる。それで何とか自分を保っているんじゃないかと。
日々競争にさらされて、余裕のない日々を送っている限り、この連鎖は終わらないのではないかと思ったりします。
今回のスパイダーマンにしても、ピーターが悪者にされようとしています。彼は自分なりの方法で人々を助けようとしてきたのに。助けられた人もいるはずなのに、一度何か起こればスパイダーマンのせいになる。スパイダーマンのせいにすれば、楽だからです。
誰かのせいにして、何も考えなければいいのです。
でも、
それでいいのでしょうか。
私たちは考えることのできる人間です。そんな安易な考え方に走ってしまっていいのでしょうか。そんな醜い生き方で、幸せなのでしょうか。
ピーターのように、誰だって間違いを犯す。
「言われてみればそりゃそうだよね、何で気づかなかったんだろう」、っていうような愚かな失敗もたくさんする。いくら一生懸命やっていても、ミスはする。
でも間違ったら、この映画の悪者たちのように、またやり直せばいいのじゃないか。
間違っても、やり直せる。
そんな社会にしていかないか。
わざわざ過去の敵を今回のスパイダーマンに登場させて、更生させ、元の世の中に戻したのはそんなメッセージだったのではないかと感じました。
そう考えなければストーリーが単純すぎるし、
ダメだと言われているのにピーターがストレンジの呪文の最中に色々注文をつけたり、
わざわざ過去の悪者を出してくる意味がどうもピンとこないのです。
単にファンを喜ばせたい、それだけなのでしょうか。
悪者がやっつけられるのではなく、過ちを反省し、更生する
このようなストーリーはなかなか珍しいと思います。
だからこそ勝手に意味を持たせようとしている私なのかもしれませんが。
犯罪を犯す人にしても、その人を批判するだけなら誰でもできるし、とても楽なことです。
なぜその人が犯罪に至ったのか、そこには必ず原因があるはずです。それを考えなければ何も解決しないのではないかと思うのです。
もしかしたら、社会から弾き出されて孤独な思いをしていたのかもしれません。誰にも、助けを求められなかったのかもしれません。
私たちにも、もしかしたら責任があるのかもしれません。
今回の映画では、まだティーンエイジャーの男の子が、自分が起こしてしまったことの代償を払う結果となりました。それはあまりに厳しい。
間違いを犯したのだから、仕方ない。と思うかもしれません。
でも立ち直る機会もまた必要なのだと思うのです。
ピーターはたった一人で、また立ち上がろうとしていました。
そこで今回の映画は終わっていましたが、やっぱりいつも悲しいスパイダーマン。
人生ってそんなものでもあるのかもしれないですね。
ピーターのように、どこか孤独で、秘密を持っていて
間違いもして、それでも生きていかないといけない。
少しの希望を持って。
そんなことに勝手に思いを馳せてしまいました。