以前、「教養がないと英語で会話できない」といった記事を書きました。

語学学校に通った際に、「日本のこと」「世界のこと」について何も語れなかった自分の教養のなさを思い知ったという話をしました。
そして、この感覚を覚えたのは自分だけではない、と思えたのが『世界の一流は雑談で何を話しているか』(外部サイトに飛びます)という本を読んだときです。
こちらの本はあくまでビジネスの世界における話ではありますが、端的に言うと、日本の雑談は「意味のない会話をすること」、世界の雑談とは「意味のある会話をすること」ということでした。
日本の雑談は特に目的を持たないもの。天気の話など、とりとめのない会話をして本題に入る前のイントロと考えられている。
海外の雑談は、目的があってするもの。知識や情報のやり取りの場であり、意味のない会話は時間の無駄、ということでした。一流のビジネスマンは悠長に天気の話などしている場合ではない、と。
繰り返しですが、この本はあくまでビジネスの話。
とはいえ、やはり日本人は海外の人(海外といっても様々ですが)と比較して、教養が不足していることを改めて感じました。
特にこの本でガツンときたのは、『一流が雑談に求めているのは「リベラルアーツ」』という章でした。その一節を引用します。
「お国はどちらですか?」と聞かれて、「ポーランドです」と答えると、海外では「ポーランドといえば、これこれこうですね」とか、「こういう歴史がありましたね」という話に発展するのが一般的ですが、日本ではまったく異なる話が始まります。
「ポーランドは何語ですか?ポーランド語って、あるんですか?」
あまりにも歴史や地理の知識がないことに、正直、衝撃を受けてしまいます。
引用:ピョートル・フェリクス・グジバチ『世界の一流は「雑談」で何を話しているのか』
これを読んで、「たしかにそうだ」と納得してしまいました。
自分自身、会話した相手がポーランド人だったら「ポーランドってどのへんでしたっけねぇ?」なんてとんでもない会話をしていたと思います。。汗汗汗
改めて、日本は「教養」に重きを置かない教育がされているのだなと思いました。今は少しずつ変わってきているのかもしれませんが、少なくとも私の時代(15年くらい前?)は大学で教養科目と名の付くものはありましたが、歴史なんてやった覚えがありません。地理に関しては中学校で知識が止まっています。そんな感じで今まで生きてきてしまいました。
ヨーロッパ(の一部?)の大学は成績が悪ければ1年目でも大学を追い出される、といったことも本に書かれてありました。
日本の環境と全く違いますね。ここで、以前読んだ池上彰さんの本に書かれていたことを思い出しました。
どこかの国の学生は、学費はすべて親持ちですから、自分の懐は痛まない。せっかく大学に入っても、授業をサボったり、居眠りをしたりしています。
引用:池上彰『おとなの教養2』
耳が痛いです。
そんなわけで、時間はかかりますが今からでも色々な教養を身につけるのは大事だと改めて思っているところです。
相手の国に対して知識があれば会話も弾みますし、相手も自分のことを知っていてくれたらうれしいですよね。
逆に、自分の国のことを相手が何にも知らなかったらすごくがっかりします。
私は語学留学をした際に海外の人に「日本ってどこ?」「日本人って犬食べるんだよね?」とか言われてげんなりしたことを思い出しました。(以下記事参考)

この時の会話で「コイツは日本の場所も知らないのかよ」と思いましたが、自分も同じようなことを相手にしていたんだなぁ、、と猛反省。汗しか出ません。本当にごめんなさい。
ということで、世界の人とより良い関係を築くために、これからもっと知識を身につけていきたいと思います。その過程で役立った知識や情報は、こちらのブログで随時共有したいと思っています。
余談ですが、、
今回ご紹介した本は、雑談が苦手な人にもヒントがあると思いました。
私は雑談がかなり苦手な人間なのですが、この本では「戦略的に雑談する」ためのヒントが書かれています。ビジネスの話ではあるものの、会話における質問力のつけ方、自己開示の重要性など日常会話にも応用できる部分があり役立ちました。
また、記事中にご紹介したおとなの教養2はこちらです。
先ほどの、日本人の学生は真面目に授業を受けない、という話は第一章「AIとビッグデータ」に掲載されていたものです。「アメリカ人学生はなぜ熱心に授業を受けるのか」という背景にはデータの盲点があった、というお話でした。