Soak Up English
英語は世界を広げてくれる
人生色々

生きづらさはなくならない。ならば、、

内向的、大人しい、コミュ障、たぶん発達障害、飽きっぽい、、など私は一般的には「こう生まれてきたくないな」という特徴を色とりどり持ち合わせて生まれてきました。

なので毎日生きづらさ満載です。長年この生きづらさを無くしたい、と思ってもがいてきましたが、最近は生きづらさはなくならないという結論に至りつつあります。

 

生まれ持ったものにいくら足掻いても、努力で何とかできることもあるものの、限界があります。もがいたとしても、全く違う自分を演じるだけです。またそうして生きるのはまた別の生きづらさを生みます。

ということは生きづらさを無くそうと努力するのは無駄でなのではないかとある日ふと思ったのです。

ただし、このまま諦めて終わるのではなく努力の矛先を変えることが大事だという思考に至ったのです。

 

自分を変えようとした日々

私は特に対人関係が苦手なゆえ、生きづらさを感じることは毎日です。友達もあまりいません。そのため自分の性格を変えなければとずっと思ってきました。

特に高校や大学の頃は明るい性格になりたいと思って、無理に明るく振る舞って失敗ばかりしてきました。無理に会話を続けようとしておかしなことを言ってしまったり、人に無理やり絡んでウザがられたりと、もう思い出したくもない感じです。惨めでした。

最近は無理に明るく振る舞うのは諦め、口数は少なくてもせめて感じ良く振る舞っていました。仕事では八方美人を貫き「問題を起こさない、真面目な人間」くらいには思われていたと思います。

一方でプライベートで友達ができるようにはなりませんでした。自分なりに努力して愛想を良くするよう心がけました。「仲良くなりたいな」と思った人を飲みに誘ってみたりもしました。しかし、いつも連絡するのは自分からで相手から連絡が来ることはほとんどありませんでした。

こんなに頑張っているのに「自分って人に必要とされない人間なんだなぁ」「魅力がない人間なんだなぁ」とつくづく思い知らされ、さらに自分が嫌いになる、という繰り返しでした。

 

努力の矛先を変える

しかしある日、自分は努力する方向を間違えているのではないかと気がつきました。

「どうやったら生きづらさが消えるのかを研究して、人に伝える」職業なんかを目指しているのであればそれは正しい努力だと思います。しかし自分はそういう職業で食べていくことを目指している訳ではありません。

まず努力すべきはこの生きづらい自分がいかに生き抜いていくか戦略を立てることです。

仕事をして、生き抜いていくことです。

なので無理して友達を作ろうという努力は出来る限りやめました。挨拶くらいは笑顔でするようにしていますが、プライベートな友達ができなくても落ち込まない。

「いつものことだし、努力もしてないからそりゃそうだ」と漫画を読んでいるとセリフの吹き出しがあるように、客観的に「ふーんそうなんだ」ととらえるようにしました。

 

なので繰り返しですが、生きづらいと感じる人は「生きづらさ」をなくすよう努力するのではなく、「生き抜く」ために戦略を立て努力することが大事なのです。

私の場合、それは英語を手段にお金を稼いで生きられるようにすることです。それ以外はもうほとんどどうでもいいのです。

 

友達を作ることやコミュ障を治すことが人生の目的ではないので。何で私は友達ができないんだろう、もっと明るい性格だったら人生違っていたのに、、と悩んでいるうちは前に進めないのです。

ますはやるべきことは、生きづらい不器用な自分が生き抜くための道筋を考えること。

 

人は助けてくれはしない

もう一つ、自分が考えを改めないといけないと思ったこと、それは人に何とかしてもらいたいと願うことです。

思い返すと、私は長い間「生きづらいよ、誰か助けてよ」って思いながら嘆いて過ごしていました。

SNSで自分の生きづらさについて投稿して過ごしたこともあります。”かわいそうな”自分の存在を誰かに知ってもらいたかったのかもしれません。「いいね」してくれる人もいました。それで一人じゃないって思えることもありました。

でもその人は自分を助けてくれたでしょうか。いえ、顔も知らない会ったこともない人が助けてくれるわけありません。状況は何にも変わりませんでした。

助けてくれる何かを待っても無駄これが現実だとやっと気がつきました。30数年かかってやっと気がつきました。本当に愚かだと思うのですが、気がつけてよかったです。

 

今考えると、私は一体何を待っていたのでしょう。誰かに「かわいそうだね」「辛いね」と言ってほしかったのでしょうか。

そう言われたところで「あなたにはこの辛さはわからない」と悲劇のヒロインになるつもりだったのでしょうか。今考えるととても恥ずかしいです。

 

助けてくれる誰かに期待しているか、本心では変わりたくなかったのでしょう。変わることはエネルギーがいるし、ダメな自分にも直面します。

それでも一人で何とかするしかない、とやっと立ち上がることができた感じがしています。赤ちゃんがハイハイから立って歩けるようになった感覚です。昔から感じていましたが、私は普通の人より成長がとてつもなく遅いんですね。この調子だと80歳くらいでやっと成人できるかなくらいのスピードですね。

これも悩みの一つだったりするのですが、もう悩んでも仕方ないという境地です。

目標の見つけ方

さて、私は今「こういう仕事で食べていけるようにしたい」という現時点での人生の目標がやっと定まったところです。ずっと明確な目標がなく、見つけるのに30数年かかりました。

目標に向かって頑張るしかないんだと言われても「目標なんてないよ」という方もいうかと思いますが、そういう場合は目標を見つけるためにもがくしかないと思っています。そんなことわかってる、と言われそうですが結局それしかないんです。

あとは自分には何が大切かという軸を持つことは意外と大事なことだったと思います。

私は目標が見つからないなりに、昔から自分には何が向いているだろう、何がしたいんだろうと問い続けてきました。

振り返ると高校の頃、クラスメイトは「自分はこれが得意だから、大学ではこういうことを学ぶんだ」と目標を持っていました。一方私は得意なことも具体的な目標もなく、受験勉強にも身が入らずとりあえず受かったところに行きました。大学在学中も具体的な目標は見つかりませんでした。

ただ一つ、「働くなら困っている人を助けるようなことがしたい」という漠然としたものだけ持っていました。なので化粧品メーカーで傷を隠すメイク商品の開発に関わったり、医療機器メーカーで働いたりしてきました。

しかしその職業もずっと続けていけるか自信がありませんでした。「自分には研究開発職は向いていない」と気づいて、迷走を続けていた時期が長かったです。職種を変えたりプログラマーになろうかと考えて高額な講座を受講してみたり、資格を取ろうとしたり、大学に入り直そうとしたり紆余曲折を経て、やっと英語で生きていこうと思えたのです。35歳の時でした。

高校生で目標を見つけている人の倍かかって、今の道を見つけました

それでも自分の中には「仕事するなら困っている人を助けられること」をするという考えがあったのは大きかったです。

そんなこと結局できやしないと何度もブレそうになりましたが、その芯みたいなものが結局役に立ちました。今は医薬品や医療機器の新製品の開発を助けるような仕事をしています。自分の力が及ぶのはほんの少し。でも「困っている人を助けられること」が少しでも叶えられるので、それが今の自分を支えている気がしています。

なので、自分はお客さんを喜ばせたいのか、困りごとを解決したいのか、など大切にしたいことを軸に考えた結果、目標が見つかるかもしれません。

本当に紆余曲折した人生でしたが、やっと目標が見つかった時に、今までの経験も無駄ではなかったと思えました。

「どちらかというと好き」でいい

ただし人生の目標を見つけるとなると「自分が生涯続けられるような大好きなことを見つけないといけない」と思ってしまうかもしれません。生きづらさを感じる人ほど「こうでなくてはならない」「唯一のものを見つけなければならない」と思うかもしれません。

でもそれはほぼ幻想だと思います。そんな崇高なものは私も見つけられていません。ほどほどに好きなことでいいのではないでしょうか。

私自身も以前は「自分の大好きで没頭することが見つかるはずだ、いや見つけなくはいけない」と思っていました。しかし元来飽きっぽい性格の私は、一時のめり込むことがあっても熱が冷めれば興味がなくなる性格です。この性格はどうしても変わりませんでした。

私にはずっと大好きで、ずっと続けられることなどないのだと絶望しました。

 

しかし、そんな大層なものは必要ないのかもしれません。見つかれば、それはとてもいいことだと思いますけれど。

私は今、英語を使って仕事をするという目標を持っていますが、その英語もものすごく大好きなことではないんです。昔から英語の音楽や洋画を好んでいましたし、英語ができたらかっこいいという憧れがありました。でも四六時中勉強するほど好きなわけではありません。自分に理解するのが難しい英文に遭遇した時は逃げたくなるし、辞めたくなります。

でも継続的に勉強を続けてきた唯一のことだったのです。大学の時は理系だったのに英語に力を入れて勉強していました。TOEICも本を何十冊も買い漁って勉強していました。人と接するのは苦手なはずなのに、英語で話す授業を受けたり、英会話学校に通ったりしていました。一時勉強をやめても結局また「もっとできるようになりたい」と思って戻ってくるのです。仕事で一時期英語の資料を作るように言われたことがありますが、その作業がとても楽しかったのも覚えています。

こういったことから「私は英語が好きなんだな」「英語くらいしか頑張れることはないかな」という結論に至りました。自分の過去を振り返ってみると意外と自分が好きだったものに気づいたりするものですね。

 

とはいえ、これからは生きるために英語を「しなければならなくなる」状況になります。私のことなので絶対にやめたくなるでしょう。すでに嫌になったこともあります。でも英語だったら何とか続けられて何とか努力できるという基準で目標を設定しました。

もう年齢的にも崖っぷちになってきたので、腹をくくれたのかもしれません。転職しづらくなる年齢ですし、一人暮らしなので生活するお金に困っても誰も助けを求められないです。生きづらいと嘆いている場合ではなくなったというのもあるでしょう。

努力する方向性を、自分がいかに生き延びるかに焦点を当てられるようになったのだと思います。

飽きっぽい人へ

これは飽きっぽくて何も続かないと悩んでいる人限定ですが、以下の記事を参考にしてみてください。「マルチポテンシャライト」という考え方で、私もここからヒントを得ました。やりたいことは一つに絞らなくてもいいのです。

興味が移ってしまっても、それでいい。それまでやってきたことは無駄にはならないからです。

長続きしない性格なら、あなたは『マルチポテンシャライト』なのかも何事も長続きしない自分 私は昔から、一つのことをずっと続けることができません。 色々とやりたいことがあり、手を出してみるのですが...

目標があっても人生は楽しくならない

最後に。

私は今、人生の目標が見つかりそれに対して努力しようとしています。でも目標ができたからといって、毎日楽しくなったわけじゃありません。それに生きづらさは無くなっていないです。

コミュ障に悩まされる日々も変わりはありません。生きるために英語をひたすら勉強し、「何で自分はこんな頭が悪いんだろう」「やめたい」と思うこともしょっちゅうです。

それでも「生きづらさが無くならない」って嘆いていた頃より人生が前に進んでいる気がします。ほんの1ミリずつではありますが、手応えを感じることがあります。

それでも辛くなってしまった時は、先ほども書いたように「人生そんなもんだ」って漫画の吹き出しを見ているように俯瞰するのです。

 

目標が見つかったら生き生きとした毎日を送れる、と妄想しがちですが、そううまくはいきません。そう思う必要もないんじゃないかと思います。

「ごくごくたまに楽しいこと、嬉しいこともある」から生きていける。それくらいに考えておいたら、ちょっと楽になれました。

高田純次さんの以下の言葉に、共感です。

「毎日楽しいことなんてないんだと思うよ。オレはそもそも毎日楽しいことなんてないと思うようにしている。そうすると、たまにちょっと楽しいことがあった時に、それがすごく愛おしく感じるわけだから」

引用:50歳を過ぎたら高田純次のように生きよう 東京タワーの展望台でトイレの順番ゆずったら本が出せました