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人間関係をある程度捨てることについて

以前、「生きづらさを無くす努力をやめること」について書きました。自分の生きづらさは多分なくなることはないから諦めて、何とか今後生き抜くために頑張ろうという話をつらつらと書いたわけです。

生きづらさはなくならない。ならば、、内向的、大人しい、コミュ障、たぶん発達障害、飽きっぽい、、など私は一般的には「こう生まれてきたくないな」という特徴を色とりどり持ち合わせ...

 

今日はその続きで、目標を達成するには今まで割いていた余計な時間・労力を割いてその分を必要な勉強などに当てないといけないという思考に至ったことについてです。自分にとっては人間関係がその一つでした。

これはエッセンシャル思考という本に影響されて考えつきました。

ちなみに注意ですが、エッセンシャル思考には人間関係を捨てろとは書いてある訳ではありません。あくまで自分がこの本を読んで、エッセンシャル思考を実践するために自分は人間関係で悩んでいる時間を他のことに使おうと思ったという話です。

 

元々知人友人が多くないので捨てる人間関係は実はあまりないのですが、友人が少ないが故に大した好きでもない人との関係が切れないことがあります。

この人と関係を立ったらさらに知り合いが減ってしまうという不思議な依存心や、困った時は助けてもらえるかも?という身勝手な理由で繋がってしまっている人たちが数人います。

情けないながら、自分の弱さですね。

 

でもその人に会いたいかと自分に問うと、全然会いたくないんですよね。そこで悩んだり、その人に費やす時間って必要なんだろうかと考えてしまったのです。こういう関係では自分も相手も幸せになれません。

そこで言葉が悪いですが、会いたいか会いたくないかを基準に人間関係を捨てることにしました。

 

多くは職場の人間関係です。何度か転職しましたが、元の職場の人であまり好きでなかったけれどたまに連絡を取り合っている人が何人かいました。

当時は仕事で関わるため波風が立たないように付き合っていましたが、今はその必要はないと気がつき、連絡を取るのをやめました。

思い返しても、当時自分はその人と表面的には仲良くしておいて、裏では誰かに愚痴を言ったりしていました。人として良くないですよね。わかっていても当時はそうするしかなかったです。

自分自身が弱くて臆病な人間なので、「こういうところはやめてほしい」とか「ここまではいいけど、ここからは踏み込まないでほしい」と要求することができなかったのです。

でも裏で愚痴を言うくらい嫌いな人と職場が別々となった今、無理して付き合うって何なんだろうと思いました。

そういう人たちは、なぜか一緒にいて落ち着かない気持ちになります。自分のことを詮索してくる雰囲気がある人。職場の愚痴ばかり言う人。周りを見下して自分の方がデキるんだと示唆してくる人。私はそういった人たちが特にダメなようです。

こう書きながら、「人の振り見て我が振り直せ」という言葉を思い出していますけれど。

 

こうしてみると、自分は人間として冷たすぎるのかもしれません。

でももう自分は今の頑張りで今後食べていけるかが決まる状態なので、なりふり構っていられません。

 

これまでは、「せっかく連絡してくれたのに返信しなかったら悪いかな」「自分なんかに人を拒否する権利なんてない」「人を受け付けないのは、自分の心が狭いせいだ」と考えて、関係を断てませんでした。

 

でも、こんなこと考える必要があったのでしょうか。会いたくない人と会った後は嫌な気持ちになったり、モヤモヤとした気分になります。そうして自分を痛めつけていいのでしょうか。

 

もっと自分を大切にしていいはずだと、今は思っています。自分にとっては好きではない人とは連絡を取らないようにすることが必要だったのです。

そうすることで大事な人をもっと大切にしようと思えるようにもなりました。

無駄に使っていた時間を見直して、できた時間を自分が生き抜いていくために使うことが結局自分のためになるのかなと思っているところです。